忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

昨日さらに書き忘れたこと

 ルーデウスに見られる公明正大、あるいは合理性について

 結果的にそうなる可能性としてルーデウスの特質により現世でああいう終わりを迎えた。

 ぼくから見れば彼の存在は過剰なものに映る。見ていて、怖い。その現世での帰結を合理的な推論によって彼が受け入れていたであろう感じが怖いのだ。そして、ぼくは思う、キモッコワッと。彼の存在がキモイのだとしたら、そのことにおいてキモイのであって、それ以外ではありえない。

 それでも見ていると面白いのは不思議。怖いもの見たさみたいな感覚ではない。