忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

数日前のメモの続き

 徳富蘆花の『謀叛論』のところで中途半端に西郷隆盛に触れて、放っておいたのが気がかりだったので、忘れないうちに書いておこうと思う。

 西郷隆盛については特に書くことはない。ぼくが西郷についてあれこれ書くよりも、内村鑑三の『代表的日本人』や江藤淳の『南洲残影』を読むほうがいいだろう。ともかく日本人は西郷のことが好きなのだ。そんな西郷を尊敬するひと、好きなひとについて、自分を含めてのことになるが、書いておきたいことがある。みんな気づいているだろうけれど、西郷のようには生きられない。そのことをどう思っているのだろうか?という点が気になる。

 これは西郷に限った話ではないかもしれない。たとえば、司馬遼太郎が描いた坂本竜馬に対する憧れを持ったひとに実は坂本みたいなやつはいない問題もこれの亜種である。ただ、やはり西郷と竜馬は違う。西郷の場合は田原坂を死に場所に選んだことが大きいだろうと思う。若者と一緒に反乱を起こすおっさんは現代にはいない。もっとも、反乱など起こさないでほしいということがまずあるわけだが。

 オウム事件はどうだったのか?おっさんが若者と一緒に立ち上がったのか?そこはよくわからない。ただ、当時、まだこどもだったぼくには奇妙な記憶としてのこっていることがある。それは、当時のメディアが教団内の性の乱れについてしつこく報道していたことだ。これは今になっての推測になるが、事実としてこうしたことはあったのだろうが、強調する必要があったのだろうと。社会が彼らを神格化するようなことがあってならない、そんな意志を感じる。さて、それはだれの意志であるか?まあ、よくわからんうえに、ぼくはテロリストを神格化することはないので、そうした配慮があったのなら、余計なお世話に思える。また、彼らを蔑むような気持もぼくにはない。

 ところが、2.26事件では少々異なる。新資料が出たということで2度ほどNHKでやっていたのを見た。その内容については触れないが、安藤大尉の伝えられ方は少々気なる。彼は部下からの信望が厚く、事件が起きるまでは最もテロには反対していた。いざ決起となるや、最後まで戦い通したのは安藤隊だったという話。これも事実として、そうなのだろう。ただ、そういう話を聞くと日本人は感動する。それを百も承知で、そういう伝え方をしているのだろうと。

 西郷にしても、安藤大尉にしても、この手の話にぼくらは感動し、そこに倫理を見出す。ところが、自分はそのようには生きられないと気づく。そのとき、ひとは何を思うだろう。ぼくは今でも西郷のことが好きではあるが、それを倫理とは思わないことにした。なぜか?西郷の生き方に倫理を見る社会は再びその歴史に第二の西郷を生み出すことになると思う。自分にはできない生き方を他者には強いているようにも見える。彼はそんな社会の犠牲者ではないのか?こんな疑念がぼくの頭をよぎるからだ。

 吉本の『最後の親鸞』や小林の『本居宣長』を読むとき、ぼくの頭の中にはこの視点がある。(学生に混じって学生運動に参加した吉本は西郷のようではあるが、彼はしっかり老いた姿を世間に晒し、『フランシス子へ』という素敵な本を最後に残してくれた。)彼らが実際、どのような意図でそれらの文章を書いたのかは自分にはわからない。しかし、彼らの文章から日本の倫理の在り方として、西郷が自らの死で示したようなそれとは違うものをぼくは読み取ろうとしたのである。

 ふと、思い出した。百田さんというひとの『日本国紀』とはどのようなことが書かれているのだろう。ぼくはこのひとの文章をひとつも読んだことがないので分からないが、小林の『本居宣長』が過去になるような内容だったりするのだろうか?現代の保守の人々にとっては、宣長論なんか、もはやどうでもいいことであったりするのだろうか。そこらへんが「リベラル」なぼくにはよくわからんのだ。

 それとやっぱり煉獄さんは人気なのだな。