忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

やっぱりちょっと気になる

 『女子高生の無駄遣い』(アニメ)で気になっていること。キャラをテンプレといったのは要はいかにもありふれた感じで、ありえそうなのにどこか現実離れしていて、嘘くさいという意味合いだったのだけれど、悪口ではない。そんな彼女たちが見せてくれた友情が実に「本物」らしく見えたという誉め言葉。らしくではなく私にとっては本物だった。

 で、その時思いだしたのが柄谷の言葉。正確な引用ではないが、学生時代の友情は親を手段として使っているので成立するというな主旨。その通りだから、彼女たちの友情は「本物」らしくみえたのか。そうだったら悲しいじゃないか、泣けてくる。

 と、もうひとつ。比企谷八幡は彼女たちの「友情」をどうみただろうか。葉山グループを見つめる厳しい視線。あるいは、今ちょうど再放送やっている時点での奉仕部に対する彼の態度。そこから連想されるものは。

 奉仕部の結末はどういう形でつくのだろう。雪ノ下と比企谷の結末については詳細は知らないけれど、ネタバレでもう知ってしまったので、なんとも言えないが、というかカップリングでいえばその結末に違和感はない。タイトルに準じればラブコメらしい結末なのだろうと思う。ただ、この物語は葉山と雪ノ下の小学生時代から始まったと見るとそこに比企谷と由比ヶ浜を巻き込んでいった。奉仕部で行われていたことは葉山グループの変わりのないなれ合いだったというような結末ではないだろう。そもそも葉山グループのそれはただのなれ合い、茶番なのか?

 こうしたことをただつらつら書いているだけでなんだか悲しくなってくる。比企谷くんだけでなく、それを見ているわたしもいわゆる「青春」にはいずれ終わりくることを知っているからだろうか。奉仕部にもいずれ終わりはくるのだろうということを。その終わりをこの物語はどのように見せてくれるのか。3期が楽しみで仕方ない。