忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

ものすごく今更な話

 村上春樹の卵と壁の話。当時、壁の側につくという人がいるだろうかというようなことをいう人がいた。今にして思うとそういう人はいるだろうなという話。

 たしか間違っていたとしても卵の側につくと言っていたように思う。この「間違っていたとしても」という部分が非常に大事なのではと。

 正しいことは小さな声で間違いいることは大きな声でというようなことを言っていた人もいたが。いずれにせよ、間違っていても卵の側のつくと断言できる人はそれほどいないように見える。

 私の場合は、ただ自分で判別できないだけのことだけれど、間違っていることでもさも正しいことのように見せかける技術だけは発展しているように見えるので、そもそも正誤問題として単純に捉えきれないことが多い。それでも間違っているほうにそのことを自覚したうえでつくなんて、近頃、ネットやTVやらでみかける賢そうな人は言わないだろうと思う。