社会批評として作品は見ない、見れない
『PSYCHO-PASS 』というアニメはたしかリアルタイムで見ていた。当時、この作品を当時の日本社会に対する批評としてみていたところがある。同時に当時の日本社会の延長のようにも見ていた。実際ものすごく面白かったのだけれど、いつのころからか、そのような見方はしなくなった。
『進撃の巨人』なんかもそのようにして見ていた部分はあるがだれかの書いた考察を面白く読むという程度。
なぜそうなったのか。よくわからない。
『俺ガイル』について
いろいろ書きたいことはある。
まず、今日のところは出てくる男の子について。
自分が一番関心を持ったのは葉山隼人。
選択しない葉山隼人。雪乃を救うことを選んだ八幡。
小学生のときの出来事についてはアニメでは詳細は明かされていなかったように思う。したがって推測に過ぎないわけだが、雪乃のほうも、クラスのほうも選ばないことで雪乃を救えると考えての行動だったのだろうけれど、それは結果としては失敗だった。どう失敗したのかといえば、高校生の雪乃のような人間にてしまった。虚勢を張り、強い人間としてひとと接するような人間になってしまった。雪乃の前に八幡のようなひとが現れたことは実に幸運だったと思う。きっと雪乃のような生き方は疲れる。3期のどことなく頼りない感じはとても好感が持てた。が、八幡は雪乃を選ぶことで結衣を傷つけた。自己犠牲で解決してきた男がだれかを傷つけてこれまでとは違う本物の罪を背負ったということなのだろう。
あれ。隼人の話をするはずが脱線。
いや前振りというか、自分の頭を整理するために必要な作業だった。
小学生のころ、ぼくは偉人の伝記を読むことが好きだった。特に好きだったのが、西郷隆盛と大石内蔵助。この二人の話をぼくがよくするからかは知らないが、祖父は『樅ノ木は残った』を勧めてくれた。
結論から言えば、葉山隼人は西南戦争は起こさなそうだし、討ち入りもしなさそうなのだ。そんな感じがする。八幡から感じるニッポン男児の倫理が隼人にはないとぼくには思えた。(八幡は西南戦争を起こしそうという話では無論ない。)
今は西郷隆盛、大石内蔵助のことは好きではないのか?と問われると好きなので、そういう部分を自分のダメなところと認識している・・・・
もう一つ書いておこう。
陽乃には島尾敏雄の戦中体験について知ってほしい。また、彼が戦後をどのように生きたのか、そのことについても知ってほしい。彼女というか、彼女のような感情を抱く多くのひとに島尾敏雄ことを知ってほしい。とか書いちゃうと大きなお世話か。