忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

もうすっかり

 今日も夜中に散歩をした。マンホールの下を流れる水の音に重ねて、耳をすませば、秋になったのだなと気づく。夏生まれで夏が好きなので、この夏が遠くに行ってしまう感じは寂しい。

 

 続 日本泥船論

 ぼくの予想なんて大したことには違いはなく、あたりもしないのだろうけれど、日本は沈みかけた泥船という話。

 そうなのかもと思いつつもなんだかそういう悲観は無用な気がする。前にも書いた通り、予想するような形である種の終末を迎え、再生するとは限らないだろう。昭和の戦争を始めたとき、負ける予想はできていたひとでも、あのような形で終わることを予想できていたのだろうか?

 そんな疑問がどうしても頭をよぎる。

 それと未来の日本人が今の議論の在り方を後々知ったとき、どんなことを思うのだろう。ぼくなら余計なお世話だな。なにかってなこと言ってくれているんだとか思うかもしれない。

 

 と未来のまだ生まれぬ人に思いをはせている場合でもない。

 ぼくは犬が死んでから死ぬことが怖くなった。

 自分が死ぬことが怖いのではない。自分の死についてはなにもイメージがわかない。本当に死ぬんのだろうかと疑問ですらある。では何が怖いのか。

 それはぼくの知っているひとが目の前から消えてしまうことが怖いのだ。

 そんなことを思うと日常の会話のひとつひとつがとても愛らしく思われてくる。

 

 そして「平成」という時代も日本は戦争に巻き込まれることもなく平和ということになっているけれど、多くの死者がでた惨事があったわけだ。そのことを思うとなんだか叫びたくなってくる。どうしてくれようか、この思い。