忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

暑さ寒さも

 母はまだ元気だが、もし他界したら蝉の声を聴くたびに思い出すのかもしれない。なんだか夏が嫌いになりそうだな。

 

 録画を見ていたらこんな時間になっていた。11話までとうとうきてしまったのか。あともう1話はなにをやるのだろう。

 10話の感想を書いていて、気づいたのだけど、偽物か、本物かという問題、自分の中ではもうすでに問題になっていなかったのだな。陽乃が自分の人生を「偽物みたいな」と評したのを聞いて、すごく寂しい気持ちになったわけだが、それはそんな悲しいことをいうなよと思ったからで、偽物だからって卑下することではないではないかと。

 偽物の人生でも生きてるのだから、それは本物だというようなことを言いたいわけではない。こういうのは言葉遊びになると思う。ただ、なんだろうな。そんな人生でも最後まで生きてみるしかないだろうし、そんな中でも人並みなことがそれなりにおきるのではないの?と。とりえず、ご飯を食べて一眠りして、目が覚めたら朝なので起きて行けよと。どこかに。といった心配が無用なくらい陽乃は11話で元気そうだった。

 八幡は結衣が八幡のことをどのような目で見ているかについては気づいてそうだったが、八幡と雪乃の関係性をどのようにみていたかまでは気づいてなかったということでいいのだろうか?そこに気づいてたら、この話はこうはならなかった?でも、こういうことを考えても仕方ないのかもしれない。三角関係で最後にだれを選んだかということはこの物語の面白さとはそれほど関係がなかった。少なくとも自分にとってはということに過ぎないが。

 それと酔えない人はなんとなくの印象としては陽乃と隼人。酔える人は奉仕部の3人かなと思った。3人は本当にすごいな。自分はずっと男子校でこういうの見ると共学にあこがれてしまうな。もう手遅れなのだが。

 11話の感想はまた別に書くとしよう。

 

 気になっていたことば。というか、妙に反発してしまったことば。人は必ず死ぬ。だから、負け確定のゲーム。なので生きることを目的になするなという主旨だった記憶。そもそも、なにかにつけて勝ち負けがあるという前提で話をされるのが苦手。負けることが好きな負けず嫌いと自分でも思ってるくせに。まあ、でも勝ちか、負けかをなにかにつけて白黒つけようとしも面白くなさそうだと思うのだから、仕方ない。そのことに加えて、偽物の人生だったら、生きてみるよりほかに道がないので、そういう場合は別に生きること自体が目的化してもいいのではないのか?という自己弁護の側面もあったのだろうな、とこのアニメで気づいた。

 

 全然関係のない話。

 なんだか日本は沈む泥船という話を見た。

 人口増加がその国の将来の繁栄を約束するというような話をコロナ禍でフランスの『帝国以後』の学者さんがしていた。日本の少子高齢化については自分が学生のころから言われているのだが・・・・

 いい加減な言い方になってしまうけれど、悲観するようなことではないだろうと思う。昭和の敗戦からも立ち上がったのだし。

 なんといえばいいのだろう?今の自分たちが予想するような形で沈むとは限らないのではないのか?中国共産党が国内の統制に失敗して、崩壊したら?とか。その場合、外圧でまた日本は変化を迫られるかもしれない。あるいは、昭和の青年将校のようなテロとか?

 それどころか、下げ止まったところでなんやかんやで貧しくなりながらもそれなりに生きながらえてそうでもある。そのときの日本人は日本の過去を知って、羨ましがったりするのだろうか?自分だったらちっとも羨ましいとはおもわないだろう。