忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメ メモ、読書のメモなど

 バタバタとしている。で、『おにまい!』を2と3分の1周目に突入したまではいいのだが、どうせなら、ちゃんとメモとりながら見ても良かったな、と後悔している。1話目に「お兄ちゃん改造計画」との文字列を確認できたので、この時点で、実は、性別転換あるあるが主題ではないと推測ではできたのかも?

 と単純には言えないだろう。これは、やはり、ぼくがおしまいまで見終わって、その結末から逆算して、そういうこと「も」言いうる程度の意味合いしかない。というのは、実際に見ていた1話時点では性別転換あるある系と「も」、ぼくは解釈してのだから。また、性別転換あるある系と解釈しなくても、「お兄ちゃん改造計画」を誤読を誘発するものと、当時、ひとまず考えることも可能だったはず。原作既読であったら、もうすこし、確かな解釈も可能であったか?というと、これも微妙である。なぜなら、アニメ作品は原作の解釈を経由して再構成されたものであるから、けっこう、原作を参照すると印象が変わる作品もあったりするので。余談ではあるが、大雑把な印象論として、原作をなぞる作品のほうが、一般に高評価を受ける傾向があるようだ。原作ファンの声なのかも。

 まひろは見た目だけが変わって、中身に変化がなかったとは言えそう。ポンコツのまま、友達ができる。それができるとみはりには確信があったのだろう。中身はそのまんまでも、もっと違う生活を送れるはずという確信が?願望が?みはりにはあったとことではなかろうか。ささないことで人生が変わると書いてしまうと、これはすごく嘘くさくなるので、お話を変えよう。

 時間があったら、メモをして、感想を残しておこう。感想は多分、半年後くらいに書こう。そのくらい熟成させるということにしておこう。

 

 『とな天』はよくわからない作品とおもっっていたが、最後までわからなかった。

 しかし、なんか若い人は楽しんでいる様子がわかる。ので、この作品の感想はその人たちのを読んでみよう。しかし、露骨に言えば、天使様も、駄目人間も内面がだだ漏れではないか。それでも、ふたりとも鈍感だから、物語になったということなのか。

 男3人組の会話はちょっと変だった。お互いに高スッペクとたたえ合う男たち?冗談を言い合っているようには見えないように演出されていた。こういう場面は、珍しく早送りしたくなった。天使様と駄目男の会話も早送りしたくなったけど。

 それじゃ、なんで見ていたのか?というとなんでだろ?

 不思議と見れちゃうというのは、ある。しゃべり方とか、声の問題か。

 

 『スパイ教室』は、これも原作未読だが、叙述トリックを楽しむ作品ということになるのか?ぼくはそこまでその部分は楽しんでいない。部活動ものとして楽しんだ。主役は先生だったと思う。風変わりな先生と落ちこぼれ。

 

 『ニーアオートマタ』はたぶん、ゲームのサブクエストをちょいちょい混ぜて、構成されているのだよね。主軸ははっきりとしていそうなので、迷子にはならない親切設計とは思うけど、機械生命体の存在が本作でどういう位置づけにあるのかは、今のところ、わからない。

 

 春アニメはまだチェックしてない。ぼやぼやしているとはじまってしまうな。

 

 『バートルビー』初見の感想

 おもしろい、おもしろくないでいえば、おもしろい。

 でも、悲しい感じ。主人公が死んでいるから?まあ、そうかも。

 主人公に魅力を感じるか?感じる。だれかの期待にかたくなに応えない人と理解してみる。天邪鬼というとは違う。期待に応じないことが倫理化していると見るべきか。

 

 語り手の最期のところ。なぜ、主人公の過去を最後の最後で明かしたのか?この語りをなぜ入れたのか?よくわからん。時間があったら、考えてみる。語り手がひとりで納得している。語り手は何を納得しているのか?納得したいだけなのか?バートルビーが語り手に問いかけたことへの応答か?

 

 単純に意味をとれなかった大事そうなところ。

 「バートルビーは前提の士ではなく、好みの士なのだ」(柴田訳、p.34)

 語り手がバートルビーを誤解していると考えてみた。好みの士ではなく、だれかの期待には絶対に応えない人。

 「好みの士」というのがよくわからん。「前提の士」も同じくらいわからんけど、この「前提」は語り手の前提?仮定?ということだろう。

 ふたりの前提が異なる。語り手は他者の期待には応えるのが当然と思っていて、バートルビーはそうしないのが当然と思っている?

 とりあえず、こんな感じで解釈しみる。

 バートルビーの語り手への問いかけ、「ご自分でおわかりにならないのですか」(p.31)上記の解釈にならうと前提が異なることがわからない?問いかけになるのか。なんか、しっくりこないな。

 

 しかし、『おにまい!』の三周目をまず見終えよう。カント、大江健三郎をいつになったら読むのやら。初見のカントを優先するか。