忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

異論のメモ

 西山問題に際し、少々、異論あり。

 まず、この問題は非常にややこしい問題であるのに、よくまあ、ずけずけと言う人がいるもんだなと思った。そこまでに、この問題に関しては、ずけずけと言ってはいけないのではと個人的に思う。

 やや別の方向からそのことについて迫っていきたい。

 おそらく、ぼくとそう年齢は変わらない中年記者の間では西山太吉という人はヒーロー、あるいは、記者の鑑なのか?この事件に際し、ナベツネさんの行動は見事だったという左翼記者もいるようだ。敵ながらあっぱれ的な?

 なんだろう。『不当逮捕』という本があったはずだ。記者でもないぼくが指摘するのは野暮な気もするし、釈迦に説法になるのか。なるな。まあ、いいや、気にしない。

 ぼくが東大新人会が嫌いでこーゆー指摘をしているわけではない。ナベツネさんという人は実に多面的な要素があると言いたいだけ。しかも、彼の行動原理はいかにして権力闘争に勝つか?であるとおもうのだが…なんか、近頃のナベツネさん賛美はいかにも皮相的と感じる。

 東大新人会というものが苦手というのは、まあ、そう。共産党が苦手。

 魚住昭さんの本だったか?ナベツネさんは熱心なカントの読者で、哲学者志望であった気がする。まあ、いいや。近々、カントを読んでみよーか、と思っていたので。

 取材源の秘匿という観点から、西山太吉という人を見るとどーなるの?という。ぼくはメディアを尊敬するのはとてもやくざな商売と思えるから。立松という人は見事なメディア人として『不当逮捕』では描かれていた記憶がある。まあ、読んだのはだいぶ前なので、記憶はあやしい。が、脚色はあっても、取材源を秘匿したのだけは確かなことだろう。(取材源の秘匿を固守したとしても、当時の反応を知らないけど、ガセネタをつかまされたのはどーなんだろ?みたいなお話にはならなかったのか?)

 書いてみて思ったが、それほど異論ということでもないか。なんで、だれかのことをそんなに簡単に称賛してみたり、罵倒してみたりできるのか?そこらへんに関する疑問ということになるか。

 

 関係ないことを思い出した。

 吉本を「理系」と思うのは、「水準が違う」と「位相が違う」と表現を変えるような場合、きちんと「水準」と「位相」の違いを彼なりに見極めてつかいわけていそうなところ。(不?)純文系なぼくからすると、理系の人はこういうところにこだわりを見せるのだな、と思っていたのだけど、どーなんだろ。まあ、いいや。ぼくはそういうところはほどほどというか、ほぼ、考えない。

 

 あ、ぼくのほうがボンクラだったのかも。こういう問題(西山事件など)に、今だと、内部文書がどーのいったような話題に敏感な人たちは権力闘争の渦中にある人たちであるのかもだ。ぼくはそういうのを遠くから眺めもしない。