忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

秋アニメ メモ

 『恋愛フロップス』7話まで見た。大方の予想通り?ゲーム内世界を描いていたのか?

 すると、そのゲーム世界内で女の子のキャラごとに別々のストーリーとしてほのめかされていた主人公との過去における接点は、本当はゲーム世界外部にいる、つまり、リアル世界のだれかひとりの女の子に統合される?で、その人物がアイ?

 この理解でいいのか、わからんけど。

 とりあえずの疑問。つくられた世界の中で主人公に過去をほのめかしをしていたということなら、この描写が持つ意味とは?なんで、そんなことをしているのか?だれがそんなことをしているのか?

 アイはもう死んでいるのか。

 うーん。もうちょっと先を見てみないとなんともいえん。

 で、この謎とバカバカしいお下品描写との関係?まじめお話とバカバカしいお話をならべて、どちらも際立つみたいなことでないといいけど。

 

 なんだっけな。ゲーム内世界だったというオチのアニメ、近年、見たやつ。がっかりとまでは言わないけど、特有のわかりにくさが残った。結局、なんの話だったのかを思い返したとき、思い当たることとして、自分の人生自体がどうも嘘くさいみたいな感覚を描こうとしているのか?そう思える節はぼくにもあるけど、なににもやついていたのか。

 

 もうひとつの主題でありそうなのが、終わらない青春、アニメ映画『ビューティフルドリーマー』的なの。『恋愛フロップス』ではだれが終わらないで、と願っているのか。

 

 今日のメモがことごとく的外れになっていることを願う。

 

 『DIY』は9話まで見た。いくつか訂正。

 ひとつめ。せるふは登校時にして、すでにシャツの裾がこんにちはしていた。ぼくなんか及びもつかないくらい服装に関してはだらしない。

 ふたつめ。ストーリーはあった。みんなで協力する。相手の不得意を自分の得意で補うみたいなお話だった。部員それぞれに得手/不得手があるということか。ただ、このお話の流れが作品においてどのような位置を占めるのか?よくわからん。

 『スーパーカブ』なんかも、そうだったけど、ぼくはストーリーに技巧を凝らしていなくても、好きな作品はけっこうある。なので、『DIY』も楽しい。

 

 あー、ここ数年、メモを取りながら、アニメを見て、この発見は大きかったかも。物語の完成度だけじゃなくて、楽しめるポイントがある。楽しめるというか、感動するときもある。

 ただ、まあ、なにに感動しているのか。自分でもよくわからない。

 それに少し関連してあった変化としては、例えば、ジブリ作品とか、新海作品とか、細田作品が群を抜いておもしろいわけではないと感じるようになった。それらの作品に100分の作品の物語の完成度の高さ、安定感というのはあるとは思う。謎の散りばめ方とか、引用の仕方とか。しかし、同じ100分だったら、今だと、『リズと青い鳥』のほうが好きかもだな。

 『すずめの戸締り』は見に行きたいけど、『ゆるキャン△』ときは暑すぎて、出かけるのがめんどかったし、今は寒すぎてめんどくなりそうだ。

 

 『陰の実力者になりたくて!』は8話まで見た。この作品のモブへのこだわりはなんなのだろう。世の中の99%はモブっこなんだよな。かくいうぼくも、小学生時はともかく、中学、高校とか自然な成り行きとして、モブだった。こういう作品が出てくるのっておもしろい。なんで、こんなものを書こうと思ったのか。原作を書いた作者もすごいし、アニメ化の判断もすごいと思う。

 非モブっこ、つまり、主役な人たちのモブ理解の部分もわらってしまう。モブっこはわたしのことが好きだったのね?みたいな。(そ)んなわけないだろ、とツッコミをだれもいれることができない。