夏アニメ メモ
『よふかしのうた』
この間、メモに残した繰り返し。主人公の少年は他者から自分に向けられた好意へ忌避感がありながら、実は彼も無自覚に吸血娘に対し彼自身があれたような同じ行為をしている点に関心を持った。
どうもそこはお話の本筋ではないのかも。主題ではなさそう。
が、ところどころにおもしろい描写はある。
吸血娘に突然、接吻(死語)のカウンターを食らう。
幼馴染も主人公の少年に好意を寄せていると今のところ主人公は思っているようだが(実際、そうであるのかはわからず、彼の勘違いの可能性もありそう。4話時点)、以前とことなり、忌避感はなさげ?なぜだ?というのも、野暮なくらい人間の感情とは意味不明なだけか。
ある種に人間について
人に好かれることのきつさは、でも、特定のだれかの場合だけに感じるというものではない、とぼくには思える。誰彼問わず相手の思いに耐えきれないので、逃げたくなるみたいな。気がするだけだから、実際はどーでもいいといえば、そうなのかも。ただ、コスパ重視で恋愛から逃避するみたいなお話をしているつもりはない。
で、はた迷惑なことに、そんな人でも、自分がだれかに好意を寄せる。手前勝手で、本当にひどい話だ。
ひどいことをしている直観はあるので、恋をすると、頭がおかしくなったような気がしてくるのだろう。
あ、思い出した。『佐々木と宮野』は別に文句ではないけど、アニメのほうの話だが、きれいな恋愛だった。
ああ、恋愛のドロドロが見たいというお話ではないです。頭がおかしくなっている感じがない。
これはまた考えてみよう。
『安達としまむら』で安達がベッドの中で数十分?身もだえているのは失礼ながら、笑ってしまったが、ふと真顔にさせる切実なもの、さっきのことばをつかえば、頭のおかしい感じが出ていた。
あああ、さらに脱線しちゃうと、『安達としまむら』のたとえば、しまむらの母の料理する姿に狂気が宿っているように見えるのだが、あの日常が少しずつ壊れていく感じは普通の生活感覚にもあるような。まあ、書いていてもよくわからん。
今になって、こういうことが気になるとは。もっと人から好かれるような人間であればよかった、とそこまで思えないのはなぜか?そういう人間とはなろうと思えば、なれるようなものではないからか。
『リコリス・リコイル』
5話。人工心臓。アラン機関。ちさと回。