忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

ぼけーと空を見ていた

 もちろん、女は降ってこないし、そんな期待もしていない。

 

 メモ

 対幻想 単純な拡張、拡大によって共同幻想になることはない。かならず、何らかの契機がある。

 家族を拡大すれば、国家になるわけではない。

 世間一般で想定される家族よりも疑似家族のほうが国家に近い。

 疑似家族が共同体と本質的に対立せざる得ないのはそのためか。

 また、考えてみる。

 

 人生を錯視するシリーズ

 だれかがいなくなって(死んで)、こころにぽっかりと空いた穴。実際、穴が空くわけないのでみたいなことをいいたいわけじゃない。こういう感覚自体が錯視の上に成り立っているのに、なぜかこういう感覚をこのんで言語化してしまう。その傾向ってなんだろね?って、傾向が錯視なのか。

 気が向いたら考える。

 一人称視点の問題としては<死>から逆算して物事を見てしまうというのが錯視だと思う。実際にはいつ死が自分に訪れるのかも、わからんくせに。こっちのほうがぼくは気になる。