最近、見たアニメのメモ
とてもいいアニメだった。問題はそれだからこそ、ぼくようなひねくれた人間はいいアニメとは言ってはいけないような気になってくることだ。
ということで気なったっ点をメモ。
いくつかの不在
小淵沢報瀬の父の不在。見落としの可能性あり。父に関する言及はあっただろうか。
藤堂吟にとって小淵沢貴子の不在。親友の不在。
南極で玉木マリにとって高橋めぐみの不在。親友の不在。
北極で高橋めぐみとって玉木マリの不在。親友の不在。
とりあえず、書き出してみたものの、よくわからん。
南極(北極)はだれかがいなくなったことで空いてしまったこころの穴を埋め合わせるものではないということか。違う何かを達成してしまった系?
すでにいろいろな考察やら感想がネットにはあると思うので、暇なときに漁ってみよう。おもしろいアニメに出会ったときの楽しみのひとつだ。
まあ、冒頭のぼやきにあわせて、ひとつだけ述べるとすれば、おかれた境遇など、主要メンバーそれぞれに暗い部分はあるが、それでも、まったく後ろ暗いところのないアニメという点は美点であり、ぼくにとって苦手な点でもある。
まっすぐに生きている人のお話はぼくにはちと眩しすぎるぜ。ぼくの人生の9割は後ろめたさでできているからな。というのはちょっと盛り過ぎだけど、それにしても眩しいアニメだった。
不在シリーズ『まちカドまぞく』編
シャミ子 父の不在
桃 姉の不在
みかん 恩人?の不在
だれかの不在というものは埋め合わせが効かないということか。そりゃそうかもだ。だれかの替わりはいないのだし。人ではなく、別のものやことで埋め合わせることもできないのだろう。
余計にわからなくなってきた気がする。
こころは物理的な空間ではないのだから、本来はだれかがいなくなって空洞化するなんてことは起きないのだが、そういう感覚だけは残るのかも。
不在の感覚、いなくなっちまったんだなってのは「会いたい」の裏返しか。
ちょっと、いってしまっていいのか、わからんけれど、不在の感覚が芽生えない相手というのはまた会いたいとは思えないということか。でも、そーいうもんでしょう。
すこし「変な」人たちについて
すこし「変な」友達とか、「変な」親とか、なんでものだが、ともかく「変な」人というのはとても大事なのかも。どう大事かはよくわからない。
でも、ぼくはひねくれているから、ここであえて、普通の人のお話で締めくくって、寝るとしよう。傘木希美の普通っぽい感じは何なのだろう。尋常ではない普通な感じがする。すこしいじわるなところとか、黄前久美子も、中川夏紀も普通の人か。ぼくはそんな彼女たちのこともとても好きだな。
まあ、とくに好きと言明する必要はなかったか。
全然、関係ないけれど最近、韓流ドラマをふたつほど見た。見たといっても、全話を流し見で、全話といっても、トータルで3時間ずつくらいかしら。
『愛の不時着』空から女が降ってくるお話だった。
『梨泰院クラス』価値観の対立。だれとだれがなにをめぐって対立しているのか、セリフの中で明確に示される。
流し見に向いているのは『梨泰院クラス』だと思った。話の本筋がわかりやすい。価値観の対立があるので、とびとびで見てもわけわかめ(死語)にならない。
ぼくのような韓流ドラマ初心者でも意味不明みたいなところがないのは作る側が工夫しているからだろう。
ぼくは日本のアニメを好きで見ているが、どこがおもしろいのか、さっぱり?みたいな感想を持つ人がいても不思議ではないとも思う。難解というよりも、なんなのだろう?表現の文法の理解が前提になっているのか。
寝ようと思ったのに、余計なことを書きだしてしまった。めんどいので寝る。