昨日はこのまま書き続けたら…と思って寝た
なので陰謀論っぽくないことについて
といっても陰謀論っぽいお話かも。
今でも、そうなのだと思うけれど、というのは今でも、この今でもスパイは存在して、スパイ活動をやっているのだろうけれど、その活動の一端は把握されているのだろう。ただ、事件化しないというだけの話で。
あ、世の中にそういう危ないことがあるので…みたいな不安を煽ろうというお話ではありません。だいたい、いかにもスパイやってそうな人がスパイをやっているはずもなさそうなので、ぼくみたいな一般ぴーぽー(死語)が気にしても仕方ないような。
ただ、ぼくが気になるのはその事件化するタイミングについて。
本来は歴史の裏方であるはずの彼らが表舞台に出てくるという状態は彼らにとって悲惨な結果をもたらす。なので、なぜ彼は表舞台に引きずり出されねばならなかったのか?という疑問というか。
歴史というものの非常に嫌なもやっとした側面に触れたような気分とでもいいましょうか。
平穏にそこらへんにいる普通の人として生活を送れたかもしれないのだよな、とゾルゲ事件について思った。彼の死後、政治の事情でしばらくはほったらかされていたのでしょう。その反動か?英雄視されるというのも、まあ、そういうものなのか…
もうちょっと枠を広げて、普通に暮らしていた人が表舞台に引きずりだれるって事態ってだいたい、良からぬ時なのかも。
あれ、なんか話が飛び過ぎた。
全然関係ない話に飛ぼう。
付き合っている相手によっていろいろと趣味が変わってしまう人みたいな。ゾルゲの経歴を見ていてそんなことを思った。ゾルゲをそういう人だと思ったということでもない。ただ、久しぶりに会うたびになんか違う趣味に没頭している人がいて、お付き合いしている人がかわったのかしら?と直接、聞くわけでもないのだが、ぼくの脳内設定はそういうことになっていますみたいな。
なんか、いつも楽しそうで、うらやましくはないけど、いいなーと思った。
もてるというのはそういうことなのかも。違うか。
9時過ぎには雨は止んだ。
それでも寒い。明日はもう少し暖かいと散歩日和。
できれば、晴れてくれ。
ところで『阿波連さん』はずーっとライドウくんがひとりでボケツッコミを繰り返すだけのお話がつづくのだろうか。ぼくは阿波連さんよりもライドウくんが不気味に思う。
もうちょっとこの点をほじくり返してみよう。
ライドウくんのひとりボケツッコミ。ツッコミについてはそこそこわかる。だれに対してツッコんでいるのかがある程度、理解できるという意味で。問題はボケのほう。だれに対してそのボケを披露しているのか?自分?阿波連さん?視聴者?
そこがだれに対してか、はっきりしてなくね?みたいな。
この作品の変な感触の正体はそれなのか。
ライドウくんがよくわからない。
でも、なんかだらだらと見続けることができる。
ラブコメではないと思う。すくなくとも、ライドウくんは阿波連さんを好きではなさそう。
※ライドウくんは自分ではボケているつもりはないのか。とすると、~じゃなくね、といっているのはだれにツッコんでいるの?いや、ツッコんでいるつもりもないのか?
???謎は深まる。