忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

個人的な偏見として

 構造分析は曲芸みたいなものばかりだと思っている。つまり、その巧拙がでる。

 そりゃー、ちゃんとできるひともいるとは思うし、そういうものに触れたときの感動はあるけどさ。ガチをのぞけば、だいたいが鋭利なカミソリで世界を切ろうとしていたり、なまくらを振り回しているだけ。根拠はわりと明白で、構造分析をしているようで、その実、世間に潜在した憤懣の言語化であったりするのだから、その場合はなまくら。可能性を秘めているのは鋭利なカミソリひとつで世界に立ち向かうドン・キホーテ。その姿には別の感動がある。

 受験産業批判は潜在した憤懣の言語化だと思う。もし、その批判をガチでやるなら、受験が産業化した過程も見ていかないと現状の構造分析だけでは終わらないような。タワマン文学の出番なのだろうか?つーか、ぼくはSAPIXも、四谷大塚も看板しか見たことない未経験者のなので、『SAPIX vs 四谷大塚 頂上決戦』みたいな東映やくざ映画風妄想をしているのだが、違うのか?