忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

今朝、メモしておこうと思ったまま

 ほっといたら、なにをメモしようと思ったのかを忘れた。

 とりあえず、梅味のカルピスソーダというものが気になっている。しかし、梅味はあまり好きではない。

 

 エヴァ私小説的に理解するというなら

 NHKの特番では少し故郷について触れていた。また、監督の父に関するお話もされていたが、その父との関係というのであれば、たぶん、高畑勲宮崎駿に触れる必要もあるのではないかと思ったけれど、その関係性とかぼくは知らない。

 ぼくが単に知らないというだけかもしれないけど、ぼくの世代になってくると高畑勲の存在についてはよくわからない部分がある。宮崎駿に比べて言及が少ない印象。

 氏家齊一郎との関係とか?徳間康快とか?大きく脱線した。

 

 と書いているうちに思い出さないかなと思ったのだけど、思い出せない。

 

 リズムが先行するというお話について

 正月にごろごろしながら、『万葉集原論』を読んでいて、その成り立ちなどいろいろと勉強になったのだけど、とくにおもしろかったのが、リズムが言語に先行する話。詠む前の感受がなされるとき、そこにまず初発のリズムが生まれるという視点。たぶん、心音とか、瞬き(まばたき)とか、目の動かし方とか、歩調とか、その現場ではいろんなものがからんでくるのだろう。しかし、不思議だ。こういうある人に固有であるようなものが万葉調と呼ばれるような時代の潮流を生む。模倣があったのだろうとは思うけど、なにかみなに通じるここちよさみたいなものがあるのか。通じる何かみたいなものを想定してもダメな気がする。

 関係ないことを思い出した。文体診断というものを発見して、いろいろな文章をコピペして遊んでいたのだが、井上ひさしの名がよく出てきた。というのはある時代以降の傾向として多くの人が井上ひさし的文体で書いているということになるのか。文体診断の精度の問題もあるか。

 寅さんのセリフは啖呵売(たんかばい)以外でも七五調になっているのだろうか。寅さんとは七五調でしゃべるシラノ・ド・ベルジュラック

 

 私の問題と同型の問題が時間にもあるというのがよくわからない

 ということで、『哲おじさんと学くん 世の中では隠されているいちばん大切なことについて』を読んでみた。話は飛ぶが、学くんは哲おじさんではなく、悟じいさんを選んだということか。学くんが好きなのは悟じいさん?

 ぼくはこういう場面にぶつかるたび、人間における論理的思考力とはなにか?みたいな疑問が頭をよぎる。この本の内容からは逸脱してしまう感想になるのかもしれない。そこを気にせず話を進めると、人間の咄嗟の行動に付きまとう不可解さ。学くんにそれを見てしまう。あれだけ明晰な思考力を有する学くんがとる不可解な行動。そういう行動が生きるということにおいて大部分を占めるんじゃないか?という感覚。

 世の中は不可解な「ありがとう」とか、不可解な「ごめんなさい」とか、あるいは不可解な語尾疑問形であふれているような気もするが、それでいいのはないか?いや、それがいいのではないか?みたいな。