忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

あまりにも凡庸な 時間編、その他

 これはよく実感することではあるが、大雑把な思考では大体、凡庸な結論らしきものに行き着く。大雑把にやらない場合はどうであるかは、ためしたことがないのでしらない。

 とりあえず、適当なところで結論を出して、区切りをつけよう。

 

 時間、あるいは、時の流れについて

 時間にある矛盾とは、人間にはっきりとその存在があると体感できるものは現在のみであり、過去と未来は頭の中にしかない、にもかかわらず、輪郭がはっきりとしているのは過去、未来のほうで、現在ははっきりとした姿かたちを現さない、そのことだ。過去なら記憶として、未来な予測、想像としての輪郭のある姿をもつのに現在にはそれがない。そして、姿をもつから、なんらかのズレがあるような気がする。そのズレは何に由来するのか?自分でもよくわからんということになりそう。

 また、ここで現在の不思議にぶつかる。輪郭ははっきりしないのに、現在は現在であるという確信は揺らがない。

 以前にも書いたように、時間にまつわるこのような規則性はなぜこうも揺らがない感じがするのか?この他にも時間は自分で止められないとか。まあ、よくわからん。ただ、なんとなく、先験的にそのことを知悉しているのだろう。

 おしまい。ということで以上のような凡庸な結論に至った。

 やっつけでもいいので結論をださないと、なにかにつけ、このことが頭をかすめてしまう。

 

 秋アニメはやっと1話を気になったものについては見た。

 『さんかく窓の外側は夜』もけっこうおもしろい。『見える子ちゃん』とも違う。恐怖の中身が違う気がする。

 

 週刊誌は下衆い

 週刊誌(とくに女性週刊誌)はその下衆なところも含めて、「開かれた皇室」に貢献していた、とぼくはまったく思わないが、それはぼくが共和制のほうが望ましいと思っているからだろう。皇室をよくも、わるくも伝えることに週刊誌はおおいに貢献していたといえるのでは。だって、週刊誌が定期的に表紙にだれをのせているのか。あるいは、だれと並置されているのか。そういったことの積み重ねは皇室と国民の距離を縮めただろう。と、これ以上は皇室を維持したい人にお任せしよう。

 ただし、週刊誌は今度のことを経て、消毒されちゃうのか?それでも、『源氏物語』は読まれ続けると思うけど、どうじゃろな。

 話は変わるが、『北斗の拳』に詳しくないのでまちがっているかもだが、「汚物は消毒だー」と喚き散らしているのはモヒカンマンよね?しかも、ギャグでしょ?週刊誌は消毒だーみたいな主旨のことをいっている人はそのマネをしているの?

 

 朝に日記を実験的に書いてみたが

 三日坊主にする。夜のほうがなぜかはわからんが、気分的によろしい。早起きが面倒というのはある。