忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

いちアマチュア市民による時代の記録

 時間があると普段あまり見ることのないテレビに触れるなどして、いろいろといらんことを思い出したり、考えたりする。「市民」ということばも手垢のついているものらしいので、プロのひとと区別するため、アマチュア市民のメモとして残しておこうかと思う。アマチュアだから社会に対する責任は負わないみたいな意図はない。それはプロのひとと同等にぼくにもある。

 

 何の話をするのかというと、オリンピック。あまり関心がないとは以前に書いたが、今日たまたまテレビでその開催の是非について議論がされているのを見て疑問に思った。

 その本題に入る前にオリンピックの思い出についてすこしふれておこう。どの程度の関心のなさなのかの確認を込めて。オリンピックを見ていたのは大体深夜だったと思う。時差があったからなのだろうけれど、もしそれがなかったらオリンピックを見ることはなかった。高校生くらいになると家にいる時間が減る。それに合わせてテレビの視聴時間もへる。今のように深夜アニメをみる習慣がなかったときは夜更けに暇を持て余したとき、テレビをつけてオリンピックがやっていたら見る程度の関心だった。(深夜アニメも実際には録画で見ることの多い今は時差で深夜にオリンピックがやっていてもおそらく見ない。)そのとき、どんな種目であっても見たのか?ぼくはうまい、へた関係なく、どんなスポーツでも見るよりはやるほうが楽しいという思い込みがあるので、自分もやれそうなスポーツなら見ない。なので、ハンマー投げとか、棒高跳びとかだと見た。水泳、テニスだとまず見ない。サッカーは見た記憶なし。

 まあ、自分で書いていてもどの程度の関心のなさなのか、よくわからない。

 

 それでは本題。オリンピックの開催/中止の判断は首相がするべきものなのか?

 ぼくは首相が決めるべきものではないと思う。以下に理由。

 民間の興行の開催する/しないの判断は民間に任せればいい、これが前提のように思われる。なので、政治家にご聖断を仰ぐのはおかしいのでは?民間のほうで開催の条件を設定して、国の協力が必要なら、それを要請し、できる範囲で政治が協力すればいいだけの話で、その協力ができないならできないでそう伝えれば終わりの話に思う。

 なので国が全力を挙げて民間の興行に協力するのには違和感がある。たとえば、オリンピック開催のために緊急事態宣言の延長は止めてほしい。医療体制のひっ迫を考慮しての延長なら、その限りではない。また、医療関係者の協力要請も政治はできる範囲でやって、集めることができないのなら、それを伝えればいいのではないか?ぼくには菅さんというひとがよくわからないのはこの点で、なぜそれを自分がやるみたいな話を彼はするのだろう?政治力の誇示?ぼくは本当に政治に疎いのでこのへんのことがわからない。

 まあ、ぼくの認識がそもそもおかしいのだろう。オリンピックは招致の段階から政治が大きく関わってきた。だからこそ、東京開催にこぎつけたのだろうし、組織委員会を見ても、政治家なしには動かないことがおおいようにみえる。

 ぼくは間違った認識をもっていることは認める。 それでも、やはり腑に落ちない。民間の興行がここまで政治に依存していることに対する違和感だろう。この点に関して言えば、コロナ禍は関係ない。

 余計な話をもうひとつ。民間の興行の成功は政府の業績ではないし、その失敗は同様の理屈で政府の責任ではない、そういう形にならないものだろうか?