忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

批判の有効性

 こういう話はまったく面白くないので2度と書くつもりがない。

 何の話か?「自称リベラル」に対する批判についての話だ。

 3度目の緊急事態宣言に対して「自称リベラル」側からの反対意見が出てこないことにたいする批判があるらしい。どういうひとがそういうことを言っているのか?まあ、半分は予想の範囲内だった。

 常日頃、人権だ、なんだと喚き散らしている「自称リベラル」たちが今、大人しくしていることはそんなに批判に値することなのか?

 ぼくはまったくそうは思わない。

 

 戦後、共産党がそれほどおおくの支持を獲得できなかった。そこには人々の生きた知恵があったと思う。戦中、原理主義的にかたくなに転向を拒否する態度に対する疑義があったのだろう。

 関係ない昔話とかしているんじゃねーと思われるかもしれないが、そんなことはない。コロナ禍においても原理主義的に人権を声高に叫ぶのがリベラルの役割だと思っている「自称リベラル」がいるのだとしたら、戦前に転向を拒否した共産党員となにも変わらない。状況把握に失敗しているのだ。

 なので、こういうつまらん批判はもう止めたら?とぼくは思う。まあ、「自称リベラル」もよくつまらん批判を「自称保守」にしているのだから、お互い様かもしれない。

 平成に青春期を過ごしたようなぼくと同世代の人間でも、この手の批判をしているひとがいるのだから、悲しくなってくるが、仕方ないのか…「さだめじゃ」と自称冷笑系リベラル敗北主義者のぼくはつぶやく。

 

 あと、こういう文章を自分で書くと毎回、感じるのだけれど(まあ、ぼくの人生経験でも5回もないし、これで最後にしたいが)、まったく頭を使わずに書ける。ほぼ、自動生成に近い。なので、書いていてもちっとも面白くない。なんなんだ、一体。

 そもそも「保守」だとか「リベラル」だとかでひとを判別して、なにがわかるんだ。わかることがあるとしたら、そんな見方はつまらん、それだけだ。