忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

元からというつっこみは想定せず、気持ち悪い奴になる

 この間、本屋に行って、お目当ての脇にあった『ヒューマニズム考』(渡辺一夫講談社文芸文庫)をついでというのもあれだが、購入し、就寝前に導入剤がわりに少しずつ読み進めていたのだが、思いの外おもしろく、かえって眠れなくなり、睡眠時間を返してくれとなどと思っていたが、妙な読後感が残った。今日はそれをメモしていきたい。

 

 ちょっと真面目にこの本の要旨をまとめてみる。「それは人間であることとなんの関係があるのか。」、この問いを自分に、あるいは他者に発し続けるひとをユマニストというのだろう。では、その人間とは何であるのか?そこが問わることになるか?というと、おそらくそんな話ではない。本書では「ユマニスムは、別に体系をもった思想というようなぎょうぎょうしいものではけっしてなく、ごく平凡な人間らしい心がまえ」(『ヒューマニズム考』p.198)とのべられているようにぼんやりとした人間観で差し支えないとぼくは受け取った。平易な文章であることに加え、おおげさな問題にせず、ぼんやりとした姿勢で構わない感じはぼくの趣味には合う。でも、よくわからない感じが付きまとう。

 

 この本の要約を残すことが本旨ではないため、そこはかなり雑に記すが、群盲象をなでる、田毎の月の話から始まり、エラスムスとルターの対比、ラブレーカルヴァンの対比、カステリヨン、モンテーニュの紹介を通して、フランス文学の中でユマニスムがどのようにあらわれてきたのかについて語られる。

 ルターとカルヴァンはユマニストとして出発しながら、そこから離れざるをえなかった様子が描かる。一方、エラスムスラブレー、カステリヨン、モンテーニュといったユマニストであり続けた人々がそれゆえにイデオロギー闘争の両陣営から挟み撃ちにあう様子が描かれ、彼らは常に負ける運命にあったとされる。テキトーに要約してみた。

 ぼくがこの本を読んでいてまいってしまったのは「笑い」についての部分だ。ぼくはたぶん笑いのセンスがあまりない。何度か、この日記にも書いたが、森元首相がもたらす笑いとか気持ち悪い。ホモソなノリな権力に迎合することによって生まれる笑いが苦手なのだ。『人志松本のすべらない話』を2度くらい?見たことがあるが、この番組で生まれる笑いも同じ構造である。それを楽屋ではなく、人目に触れる番組でやるのだから森元首相の話よりも気持ち悪いが、他に違いがあるとすれば、しゃべりの質にあるのかもしれない。生憎ぼくにはそれをはかる定規がない。そもそもどちらも笑えるほどの可笑しさがあるようにも感じないので、考えてみようとも思えない。ただ、こういうのを見て笑うひともいるのだろう。そのことはなんとなくではあるが、わかる。で、問題はそこにある。ラブレーの作品から生まれた笑いも同質のもではなかったのか?これまた、なんとなくではあるが、同質な気がする。お下品な話はしかたないのか。本当にそうだろうか?

 ぼくもたまにお下品な話を日記に書くことはある。しかし、お下品ざますなことを書いている自覚はあまりないし、そこから他者の共感やら、笑いを引き出そうとは思っていない。まあ、どちらにしろそこまでひとさまのことは言えないわけだ。また、ツイッターでお下品な話題を目にしても、気にならないこともある。雑な印象論になるが、やはり気持ち悪くないものにはそうならないだけの要因があり、それは権力化につながらないところにあるではないか?そう見るなら、ラブレーの笑いは少し性質が違うかも。彼は結局はみじめに負けるのだから。みじめに負ける権力もありうるか?いや、勝ち負け以前の問題かもしれない。そもそもラブレーには笑い以外の手段があったのだろうか?なにもかも失った人間に最後に残された手段が笑いだとしたら?ガチの茶番ってものはありうるのだと思う。ところで渡辺一夫は笑いをどう考えていたのか?そこがちょっとどころではないくらいに分からない。ラブレーを読んでみるか…

 まあ、そこに引っかかりながら、田毎の月の話に倣って、笑い以外のところでユマニスムに接近してみようと、先を読み進めると、モンテーニュが出てきた。面白い人だった。ただ、彼にしてもみじめに負けるのか。やはり世の中というのはよい意味で狂っているのだと思う。負けを知りながら、ユマニストになるのだろう。変なひとだ。こんな雑な言い方はよろしくない。負ける予感がありながらも、ユマニストであり続けようというひとが世の中には出てきてしまうのだろう。これはこれで気持ち悪い。あれ?世の中ってもしかして気持ち悪いやつらだらけなの?震えてきた。興奮で。こうした見方が許されるのなら、ユマニスムが対峙しているのは人間にまつわる根本的な問題なのだろうという気がしてくる。様々な時代にそれは具体的な様相をともなって、あるときは宗教問題、またあるときは…という具合に。負けても負けても、懲りずに挑戦するひとが出てくるのは狂っているし、気持ち悪いし、面白い。

 それはそれとして、森さんのように社会的に偉い人はつまらない冗談で社会に話題を提供するのは止めてほしいし、『人志松本のすべらない話』みたいなものとは別種の気持ち悪さを追求した番組に期待したい。世の中はもっと面白くて気持ち悪いものに満ち溢れているはずだ。

 あー今日もまた気持ち悪い文章を書いてしまった。楽しい。

 いや、逆だ。今日の文章はあまり気持ち悪くない。そこが駄目だ。もっと気持ち悪さを!まあ、でも、楽しいのは楽しい。