忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

起きているときに言う寝言の記録 その2

 2巻メモ書きの前に少し別のことを

 考えてみると不思議なことで佐伯沙弥香の内面の葛藤、偽り自分というものは恋愛そのものには直接のかかわりがない。なにを突然、言い出すのかといぶかしむひともいるかもしれない。自分でも、そうは思う。

 なにから話を始めればよいのか、さっぱり見当もつかないので、まずは自分を偽るとはなにを意味するのか?そこから考えてみたい。ひとにはなにがしかのあるべき理想の自分というもの、自己イメージがあり、それとのズレが生じたら、その状態を偽ると見るのではないか。そのことは基本的には当人しか知りえない。

 ところが、恋愛には相手が必要になる。だいたいの場合はそうだろう。あなたに好かれるために偽っているの、とこちらから告げない限りは、相手に偽りの自分問題を知られることはないし、あまりそのことを告げるひとはいそうにもない。とすれば、恋愛相手との関係性においては直接のかかわりはない問題、と言えるのではないか?換言すれば、この種の悩みは恋愛にはつきものであっても、副次的なものとなる。書くのも野暮とは思うが、自分を偽ることを目的に恋愛を始めるひとは少ないはずだ。第一、迷惑な話なので、できれば恋愛以外のことでそれを試してほしい。実際、それは杞憂で、たいていはその逆、恋愛の成就を願って、偽りの自分を始める。

 そして、問題はその先にある。副次的なものでもあるにもかかわらず、なぜ偽りの自分が文学の主題になりうるのか?

 そのことがぼくには不思議に思える。ちょくちょく自分でも書いてきたことだし、ありえそうな推論として、内面を描くのが文学だからと仮定してみる。恋愛についてと同様に作者の目的が恋愛を描くことにあるのだとすると恋愛にこの種の嘘はつきものだからとなるのか?あるいは、偽りの自分からの脱却を描くためだろうか?あれ?っとなる。脱却を描くことが恋愛になるのか?ならないだろう。しいていうなら成長ということか。混乱の兆し。

 問いの立て方がおかしいのかもしれない。

 現時点で言えること。だれかからいかにも共感されるであろう「あるある」を描くのは文学ではない。恋愛なら日常のふたりの関係をリアルに活写するのが文学ではないということだ。ん?今のはなに?と読みながら、立ち止まるようなところがなければ面白くない。理解に苦しむようなところがなければ、それはなんだ?あるある大辞典?(実在のそれとは一切、関係はありません。見たこともないので知りません。)佐伯沙弥香のいう偽りの自分は「あるある」のようで「あるある」ではない。この点がとても大事で、この作品のもつ文学性にもなっているという今のところの解釈。

 具体的にいえば、昨日、はっきりしたことだが、『やがて君になる 佐伯沙弥香について』で泣いているのは彼女ではなく、ぼくなのだ。変だなと思う。「あるある」とはならなかったのだ。ぼくは彼女への理解を拒まれたような錯覚に陥る。それにもかかわらず面白いから、不思議なのだ。

 

 2巻の感想、メモ

 3巻に行く前に、小学生時に沙弥香がスイミングスクールで出会った少女の名前が明かされない。今更、それが気になっている。

 2巻のメインは七海燈子と沙弥香。原作の補完的内容といえるのかもしれないが、内容が補完的であるわけではない。なぜなら、原作を読まずに2巻を把握できるように書かれているからだ。いや、原作を知っていれば、より楽しめるとはおもうが、あれ?余計なことを書いてしまったかもしれない。この小説に関する感想については原作で得られる知識にはたよらないと書けばよかった。

 沙弥香の恋愛の仕方に変化はあったのか?あったはず、としか2巻の終わり時点ではいえない。燈子へ告白したのだからそうなるはず。燈子との関係においても沙弥香は自分を偽り続けた。燈子の望む関係性を続けるために沙弥香は自分の願いを告白する日まで想いを押し殺していたのだ。ただ、2巻時点でぼくが理解できたのはそこまで。なにがどう変わったのかまでは理解できていない。3巻でわかるといいな。

 小糸侑との関係についてはもっと描かれると思っていた。この関係性はお互いに偽らずに、飾らずに済むということか。恋愛ではないから可能なこと。

 あと大事なのはふたりの友達。吉田愛果、五十嵐みどり。モブではない。さらに燈子を加えた4人組の関係性。

 もうひとり大事な登場人物がいた。沙弥香の祖母。勘の鋭い老人、前は苦手だった。ところが、自分の親が老いて、いや、一緒にいた犬が老いていく様を間近に見て、そういう意識はすこしぬけた。ぼくは老いてからのほうが犬のことを好きになったのである。

 2巻で感じたことのひとつ、ぼくから見てこのひとは怖いというのが数名いたこと。沙弥香、侑、それと吉田愛果。侑は原作時点でそうだったかも。逆に怖くないのは燈子。不明なのは五十嵐みどり。

 この怖いって感覚は理解ができそうにないって感じに近いのだと思う。燈子のことはわかるのか?と聞かれれば、わかる気がする。高校生だったころの自分を想像して、当時の自分でも唯一理解できそうなのは燈子だけかも?独り相撲が得意そうなところだけがわかるというにすぎないが…精神的に幼いというか、他者がいないというか、これは誉めことばです。燈子の幼さは小説内でもとてもうまく表現されている。

 沙弥香について理解できないのは、本棚。ミステリー小説がいまだに置いてあること。なぜ彼女は残しているのだろう?でも、そこが魅力でもある。

 まあ、ひとことで言えば、2巻も泣けた。恋愛と限らず、だれかに教えてもらえるような、教科書があるようなことでない場合、あるやり方ではじめてしまったら、それに呪縛されるみたいな…でも、沙弥香の物語は「あるある」では収まらん感じ。

 「あるある」で終わらないのは原作も同様。