忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 先日の続き

 

 今日のメモについても生物学的な男女の話は除外

 日本の古典文学における女性 「をこ」、「笑い女」ということばを先日初めて知った。ネットで教えてもらった。ぼくは古典についてはそれほど明るいほうでもないので、少し困っているが、どうしたものか。あとそれが日本の古典文学の基幹をなすという指摘。なので、また万葉集を読み直してみようと思う。

 ヤシロや鳥子を思い出したわけだが。まあ、ぼくの誤読かもしれないが。現在の作者にも意識的か、無意識的か、どちらにせよ脈々とその流れが受け継がれているのか。同性間のうんたらかんたらと問題設定していたけれど、ちょっとそこからいったん離れて「笑い女」の文学として見てみるのも楽しいかもしれない。そんなことを思った。

 もうひとり対比として思い出されたのが寅さん。寅さんが日本のシラノという山本監督の見方にはそうだなと思える。そういう意図をもってつくられたような気がするという点で。で、その寅さんはやっぱり男だなと思える。まあ、寅さんというよりもシラノのほうがそんな気がするが、いかにも男が考えた男の理想のいち典型という感じ。最近の作品だと銀さんがそんな感じか。いや、もう『銀魂』も最近ではないのか。道化の皮をむくと中身は本気と書いてマジと読む的な…ぼくとしてはこの手の男は作品内にかぎらず食傷気味ではあるが。まあ、ぼくは思っている以上に自分自身が女性なのかもしれない。

 その点、ヤシロとか鳥子の皮をむいても中から何が飛び出してくるのか、ちょっと想像つかない。空っぽってことはないだろうし、なんだろう?「変な女」だから変なものなのだろう。でも、それは変と形容するには似つかわしくない何かだと思う。

 

 今期のアニメはどうしたものか。

 今調べた、らみようと思っていたのが先週開始だった。