忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

戦争の勝ち負けについて

 「冷笑系」ということばが気になっていて、桐生悠々はそれに該当するのか?などとふと思いつた。例によって、くだらない思いつきで、「関東防空大演習を嗤う」、「陋習打破論」から連想してみたのだけど、読み直す前から、これは見当違いだろうなと思いつつ、ネットで検索してみた。

 その結果、当該の文章に到達する前に面白い論評があって、彼が「冷笑系」であったか、どうかはどうでもよくなってしまったのである。

 巷間でよく言われる反戦を強く主張したという点については、その論評で指摘されるように、「関東防空大演習を嗤う」に関して言えば、誤りであるとぼくも思う。それよりも、その論評によれば桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」は軍事研究の観点から見て誤りが多いということに驚いた。細々とした点についてここでは書かないが、単に自分が無知であったと言えば、その通りなのだが、数ある指摘の中からひとつ、どうにも自分には合点のいかないことあったのだ。

 それで、そのことを簡単にメモしておこうと思ったのである。

 「関東防空大演習を嗤う」では以下のいち文がある。

 

  敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのもので

  ある。

 

 防空演習が演習ではなく、実際に行われる状況になれば、それはその時すでに戦争には敗北しているということを意味する。この点に関して、その論評ではイギリスを見れば、桐生のほうが誤りであると主張されていた。イギリスも空爆には遭ったが、連合国側として勝利していると。

 なるほどとは思ったが、ぼくには難しい問題のように思えた。

 単純化してみよう。

 ①被害 小 勝ち

 ②被害 大 勝ち

 ③被害 小 負け

 ④被害 大 負け

 

 大小ということばは曖昧だが、そのことはひとまず置くとして、以下、箇条書き

 イギリスは②、日本は④

 ①から④をそれぞれ比較してみる?この比較にそもそもどんな意味を見出せるのだろうか?

 戦争の勝ち負けにこだわるなら、(想定される)被害状況を度外視して勝ちそうなほうにつくことが大事なのか。

 どの立場で戦争に参加するのか。ぼくの場合なら、②と③なら、③のほうがいいのだろうか?そもそも③のような状況は現実に起こりうるのか。

 こんなことを考えていくと、よくわからんなとなる。