忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

人生やら世の中やらをなめきった作風

 毎週楽しみにしている『神様になった日』とかはどうなのだろうと思った。ギャグアニメということではないと思うので、この作品にそんな作風を求めてはいけないか。

 でも、錯乱坊がでてきて「さだめじゃ」とかいうと笑っちゃう。あれは人生だとか、世の中だとかをなめきっているなと。全方位に喧嘩を売っているわけではないだろうけれど、およそ価値のありそうなことに対するなめ腐った態度というべきか。なので、なめきった感じを装って、意味ありげなことを言ったりするのは嫌い。自戒を込めて言えば、それはなにかに畏怖している。畏怖するのなら、ダサかろうと、真摯に向き合うほかない。また、そんな保険をかけたようなことばで笑えるわけない。では、そうした配慮の欠いた暴言や放言が面白いのか?というとそんなことはない。「さだめじゃ」が暴言でも放言でもないように。

 『Dr.スランプ』なんかもそうだろうか。ちょっと違うか。

 『バッカーノ!』のミリアとアイザックはそのようにも見える。

 『キルミーベイベー』とかもそうかもしれない。

 このへんのアニメは再放送とかもうしないのだろうか。

 『銀魂』、『男はつらいよ』の笑いにぼくがどっぷりつかれないのはそういうことかと思う。これらの作品の良さなのだと思うが、根っこにある人情の泣き笑い。これがぼくは苦手。

 それはそれとして、日々の生活でもこういう態度で臨まないとやってられるかとなるので、誰にも気づかれぬようにおバカなことをこっそりとやるようにしよう。この日記もそのようなものではある。

 

 話題は変わる。

 『蒼穹のファフナー』を見ていて思ったのだが、一騎、総士、真矢の関係性は面白い。面白いというか、もしかして、一騎をめぐる三角関係なの?という。1期から見ないとダメっぽい。

 それともう1点。この作品における「死」について、フェストゥムによる同化現象の結果としての消滅とぼくたちが普通考える死のふたつが描き分けられているのかな?と。もし、そうならこの作品からなにが読み取れるのだろう。一騎たちのいう祝福というものは同化現象による消滅を指しているのだろうか?前よりもちゃんと見ているはずなのだけれど、よくわからないが、面白い。いや、命の使われ方としては同じということかも?どちらにも祝福がある?やっぱり、わからない。感想は全部見てから書く予定。