忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

『信長の野望』を思い出す

 アメリカ大統領選挙に関心はないけれど、ネット、テレビでそのニュースを見ていて、ふと思い出したのが『信長の野望』だった。小学生のころにそれで遊んでいたのだけれど、ぼくは馬鹿な小学生だったので、面積の狭い国でプレイを始めることは滅多になく、面積の広い越後などで始めた。

 それで思ったのだが、こういうぼくみたいな馬鹿な小学生だったら、トランプさんの圧勝に見えたのだろうと。今の小学生は賢いから、これはつまらない杞憂か、どうかはわからないが、ともかく、全米の地図みると赤のほう多い。さらに細かく、州内の地図で見ていくと、圧倒的に面積だけで見れば、赤だらけで、州内の都市部が青いという現象。

 これを日本のメディアでは「分断」として扱っていたのか。

 現在のアメリカの話としてよく言われることに、アメリカの富の大半をアメリカの中のごくわずかな人びとが独占しているといやつ。大統領選で見れた地図における赤が多い現象はそれの反映なのか?

 アメリカの分断は人種やら宗教やら様々に語られることはあったが、根っこにあるのは経済格差なのか?結局のところ、ぼくにはよくわからない。しかし、もし経済格差が分断を生む主たる要因なのだとしたら、それは政治に解決できることなのだろうか?緩和することはできる?これもよくわからない。

 日本の教育格差についてのニュースを見たときもおもったのだが、こういうことはどうやって解決するの?何をもって解決とするの?という疑問。

 様々な理由で『男はつらいよ』という映画は苦手であり、好きでもあるのだけれど、あの映画おける博の描かれ方。暮らしぶりがだんだんと良くなり、戸建てを持ち、息子を大学に行かせるにいたる。こういう描写にリアリティがなくなると分断が感じられるということなのだろうか。

 よくわからないことは文にするものではないな。今日あらためてそう思った。しかし、経済の格差を埋める有効な手段はないが、全体で豊かになることで格差の生み出す痛みを和らげるという方向性がなんとなくひとのこころに響きそう。でも、それは世界地図で見たら、ということではなく国内単位ということになってしまうのだろうか。

 あるいは、だれかものすごいひとが出てきて、これまでの価値観を破壊して、経済格差を気にするような世界ではなくなるという方法はどうなのだろう。これは実現可能性が低いつまらない妄想であり、きっと危険な方法だ。

 こういう話題を書くのはやはり止めよう。向いていない。