忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

自家撞着を指摘することは批判になりうるのか

 ぼく自身はツイッターをやらないのであまり分かってないところもあるのかもしれないが、たまにツイッターを見ていて変だなと思うことのひとつに自家撞着の指摘がある。こういう指摘をされるのは大体は有名なひとなのだろうけれど、よくわからんなと思うのだ。

 この手の指摘をすることがなにか有効な批判として成立しているということなのだろうか?ぼくにはさっぱりわからんのだ。自分自身のこととして見ても、そんなことは日常茶飯事、当たり前のこと過ぎる。今日言ってることと明日言ってることが矛盾するなんてよくあることだ。したがって、仮に自家撞着していると言われても、「その通りですね」と返すほかない。幸い有名でもないし、ツイッターもやっていないので、そういうことを指摘されることがないに過ぎない。

 当たり前とかいうのは不誠実ではないかという意見はあるだろう。確かに、ぼくもそうだとは思う。しかし、それは実際には不誠実だからそうなっているのではなく、ぼくの場合、頭の精度に問題があるからそうなっているのだ。世の中にはやはりすごい人がいるもので、そういうひとは形式論理的にしっかりと物事を捉えられる。そんなひとは自家撞着とか起こさないのだろうけれど、ぼくは違う、それだけの話だ。

 それともうちょっと違った視点でこの問題を見たとき、自家撞着という指摘がそのひとにとって重要な示唆になりうるのなら有効かもしれないが、そうでないならただの揚げ足取りか、最近流行りのことばでいえば、まうんてんごりらってることにしかならない。そのようにぼくには思えるのだ。

 やはりこれは自分でツイッターをやってみないと見えてこないことなのだろうか?でも、あまりやる気はおきない。せっかくこの備忘録兼日記を書く習慣がついてきたのに、ツイッターを始めたら、そっちに書いておしまいということになりはしないかと不安なのだ。

 自意識の語りとしてはツイッターというのはまさに合ってそうな感じもするのだが、文字数の問題もあり、韜晦した様な物言いになってしまうのも気になる。まあ、ぼくはこの備忘録を続けよう。