忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

歴史感覚(意識)と土地勘の不在

 歴史感覚の不在

 大学生の時だった。先生がこのことを言っていたのは。当時はうれせーなくらいに思っていたし、今でも多少反論したい部分はある。

 先生はなにか特定の作品をさしていっていたわけではないように思うが、日本の作品からどんどん歴史感覚だったか、歴史意識だったかわすれたが、とにかく、そういうものが消えていっていると寂しそうに話していた。

 最近話題の作品もそういえば、そうだなと思った。過去の日本を題材にしながらも、歴史的な出来事を踏まえたような描写は見られない。

 ただ、このことについては多少の反論もあるとすでに書いた。それは日本の過去を舞台にしてはいるけれど、それはゲームの中の世界と同じということではないのかと。日本を舞台にしたことについてはなにかしら意図があってのことだろうとは思うが、歴史とは切り離された世界、時間の流れが存在しない世界ということ。

 でも、先生は果たしてどういう意味でそういっていたのか。今思えば聞いておけばよかったかもしれない。ただ、自分は質問するような生徒ではなかったし、仕方ないな。

 

 それとは別に歴史のことついでに書いておくと、自分の見通しは本当にあてにならないなと思う。

 司馬史観というものはもっと根強い人気があると思っていた。しかし、近頃の大河ドラマの低迷といい、そうでもなかったのかと思っている。武士が歴史を動かしてきたというようなものの見方。

 もうちょっと時がたってみないと分からないが、網野史学のようなものがもっと浸透してそうではある。スタジオジブリ作品の影響などなど。

 まあ、例によってぼくの見通しはあてにならない。

 

 土地勘の不在

 これはもっと適切な表現がありそう。たしか柄谷行人のことばだったが、その土地の味わいが消えて行っているということだったような。

 これは作品内でということでなく、現実でもということだろうか。

 たしかに自分の家の近くの沿線の駅前の風景などはそうかもしれない。

 また、住むひともその地域の特殊性のようなものは消えているのだろうか。

 話すことばは違うかもしれないが・・・・メディアの発達とかで頭の中身とかは同じようなものになっているのかもしれないとは思う。

 まあ、よくわからん。

 でも、これは東京だなという風景はある。

 『残響のテロル』とか東京っぽい感じが出ていたような。

 でも、この東京は押井守監督の描く東京ではないのだろう。映画『機動警察パトレイバー』でも東京が出てくるが、それよりも『立喰師列伝』の東京に興味を持った。それはぼくの知らない東京だからだ。

 野良犬を街で見たことがない。これだけでもぼくにとっては大きな発見で1964年の東京五輪以前の東京とかをこの映画からなんとなく想像していた。押井監督の見た東京は帆場の好きだった東京であったのかとか、監督も柘植も現在の東京には複雑な思いを抱えているのかとか・・・・

 そういえば、最近空から東京を一望したことがない。どうなっているのだろう・・・・