忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

うーん

 『安達としまむら』の2話まで見た。百合要素あるのかなとは思っていた。

 でも、百合アニメという見方は自分には不要に思える。百合アニメだから見ようとは自分は思わないというだけの話だが、『やがて君になる』を見たときも同様のことを思った。

 『安達としまむら』について今のところいいな思える点

 友達になる切っ掛け。たまたま体育館で出会う。さぼり癖のあったふたり。似た者同士か、どうかは分からないが、たまたまというのはいいなと思う。付き合いが続くのも、なんとなくという感じなのだろうか?何か、人間性にひかれてとか大袈裟でない感じがとても自分は好きだ。ぼくと友達になってくれたひと、友達を続けてくれるひともきっとぼくの人間性とかでそうしてくれていたわけでもないのだろうし、ぼくがそうするのもそのひとの人間性とかは一切関係がない。

 

 ふたりの微妙な認識の違い。関係性に対する認識の違い?

 吉本が武田泰淳のことを好きと言っていたのはすこし感動した。武田泰淳はどうたったのだろう?でも、悲しかったのは埴谷雄高の話も少しはしてほしかった。まあ、ぼくの勝手な願望だ。

 

 宇宙人についてはよくわからない。しかし、なんだか浮世離れした描写がところどころにでえてくるので、そこまで違和感はない。この映像表現もちゃんと見てみようかなと思う。実のところ映像表現とかはよくわからんのだけれど、なんだか綺麗だなと感じるので、楽しみということだけではある。

 

 「不良」ということば。このことばは現在も使われているのだろうか?マイルドヤンキーということばの存在を最近知ったわけだが、具体的に何を意味するのかは知らない。なにを思ったのかと言えば、最近は「不良」ということばはつかわずに「ヤンキー」ということばをつかうのではないかと。

 でも、ぼくにはふたりは不良には見えない。学校生活がそこまで得意ではないのかなと思う程度。自分も得意ではなかったが、結構楽しかった。そう、得意でなくとも楽しむことはできる、学校生活そのものではないかもしれないが楽しいこともあるという感じか。それでいいじゃないかと思える。でも、現実は出席日数やら遅刻数やらで微調整とか面倒なことがあるのだろうなとか、推薦を考えるとなんたらかんたらとか、つまらないことのやりくりにあくせくしなければならんのだろうとか考えると、大人になってもお金のやりくりに・・・・以下略。

 生きるってなんだよと思える。

 

 次回の『安達としまむら』も楽しみ。