忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

秋アニメなど

 秋アニメ

 『安達としまむら』は見ている。面白い。友達についてあーでもなく、こーでもなくといろいろな表現を試しては崩してくれそうな感じが好き。

 

 榊原良子さんのブログを読んで

 映画『機動警察パトレイバー』について言及されていた。

 とその前に。話すときの間について、これはすごく勉強になった。ぼくは役者ではないけれど、ひとと話すことはあるので、その中でのことにはなるが話す速度については気を付けることもあったけれど、間を意識することはなかったように思う。これはすこし気を付けてみようかなどと思った。

 本題。押井監督との間に相違があったという話。そのこと自体は以前にネットで見かけたような記憶。反省したこと。「相違」とは認識するものという指摘に反省した。このことについてはネットなんかを見ていてもそうだよなと思う。以前はぼくもこういうことに眉をひそめていたくせに、いつの間にか、鈍感になっているというか、なんというか。自分と意見の異なる人の存在を認めない、異論を認めない、異なる意見が存在すると分かったときすぐにどちらが正解か?のような正誤判断する。こういうことを冷ややかに見ていたのだけれど・・・この指摘を目の当たりにして、逃げたくなった。

 で、さらに逃げたくなった。というのも、押井監督に向けれたことばではあるのだろうけれど、自分にも耳の痛くなる指摘がもうひとつ。

 話を変えよう。ぼくは『うる星やつら』のラムのことがよくわからない。このことと同様に榊原さんのことがよくわからない。で、怖くなってしまうのだ。いや、女性のことがよくわからないと言ったほうが適切だろうか。

 

 吉本の『転向論』について

 ぼくの記憶が正確ではないかもしれないが、吉本は再転向したと受け取られても構わないと言っていた記憶がある。かつて、「転向」についてあれほど厳しい批判をしていたのになんでだろうと思っていた。

 その謎が解けたということになるのだろうか・・・・

 「昼寝をしているほうがまし」このように言い放って以降、吉本の著作。党派に縛られた争いを無化しようということなのだろうか?もし、そうなら転向したか、どうかは大した問題でもないということなのだろうか?

 それにしても未だにこの手の党派性というのは根強く残っているように見える。なぜ、ひとはこういうものにからめとられしまうのか?よくわからない。

 

 散歩道虫の音と伴奏する君とぼく