忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

昨日の続き

 いい加減な書き方をまたしてしまったようだ。寅さんが駄目だという意味。正確には人生で何が大事なことかをわかっている大衆社会のヒーロー寅さんになにがしかの期待を寄せる自分のその期待というものが駄目と言いたかったのだった。

 このことについては2点。

 ひとつめは寅さんは本当に人生に大事なことがわかっているのか?最近、『プロ倫』に関する論考読んでしばし考えた。寅さんに人生で大事なことを学んだという人もいるだろうし、それに反論する気もないけれど、寅さんがインテリと揶揄するようなひともきっと人生で大事なことかはわからないが、人間というもの対する深い洞察はあるだろうという気がする。また、寅さんの語りそうな人生で大事なことを政治の文脈に置いたとき、きっとややこしいことになるというか、ほぼそれは雑音になるだろうなという感じがする。いや、そもそも人生で大事なことと政治は対立するということなのだろうか?佐々木幸綱先生が万葉集について語っているとき、勝者は政治をつくり、敗者は文学をつくるといっていたような・・・・「近代の超克」での語り口にある種の敗北主義の香りもそのせいか?ぼくは卵としてこの世界に存在することに徹することはできるだろうか?ふと、コロナ禍における村上春樹のことばを聞きたくなった。

 

 ふたつめはひとつめが脱線している間に何を書こうと思っていたのか忘れた。

 

 以上のこととは別にざっくりと考えていること。

 エヴァにおける14歳問題。大人になれない碇シンジ

 『魔女の宅急便』のキキ。正確な年齢は知らないが14歳くらいなんでは?

 この二つを並べてみる。14歳の描き方として。

 ぼくはやはり『魔女の宅急便』のほうが好きだな。なぜか?14歳はきっと魔法が使えなくなる歳なんだ。いや、神様がどこかに行ってしまったと感じられる歳なんだ。でも、その神様はいなくなってしまったわけではないと今になって気づいたんだ。

 こういうことについて少し考えてみようかと思った。