忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

あと2点

 一つ目。「君は酔えない」。この種のことばの持つ呪術性。このことばきっとこれからの比企谷君の人生で繰り返し、頭の中で再生される。きっとこの作品を読んだ、見た人なのども。悪い言葉じゃないかといいたいわけではない。こういう言葉と自分なりに向き合ってみて、戦ってみたり、逃げたりするのが文学の面白さのひとつであるだろうなと。毒にも薬にもなるのが文学とかうまいことをいいたいわけじゃない。こういうくそみたいなことに明け暮れてしまうのもいいんでないの?

 もうひとつ。由比ヶ浜が写真を見ちゃう問題。まあ、あの独白につなげるのは見ちゃいけないもの、彼女がそれまではみないようにしてきたものを目の前に突きつける必要があったということか。疎外感か・・・あれ、なにを書こうとおもっていたのだっけ?忘れた・・・・疎外感を感じるのも異世界ゆえとか、そうことではなく。まあ忘れてしまった。ただ、今日のあの場面ですこし由比ヶ浜に対する見方は変わった。

 書いてて、もうひとつ、おまけ。この作品の登場人物に自分は誰にも共感しないし、好意もない。でもなんでこんなに楽しんでいるのだろうねと。現実の人間関係の嘘くささにうんざりしているとか?まあ、それはあるのだろうけれど、もうそんなことを気にするような歳でもないし、まあ、ひきずっているといえば、そうなのかもしれない。これってやっぱ漱石的主題なんだろうか。この辺は認めたくはないが、柄谷行人の影響は間違いなく受けている。学生の時分に、学生時代の友人関係は親を手段としているので成立するとか言われちゃったわけだしな。(他者を手段として利用するな、目的としろという柄谷の思いは実践できるかは別として理解しているつもりではいる。でも、自分だったら、たとえそう思っても、そのことを強く主張とは思わないが・・・・)冗談じゃないと思いながら、読んでいたわけだけど。そういえば、このことばも「君は酔えない」と同じように僕のことを縛ったことばだったのかなと・・・・