忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

2004年当時の世論

 当時のことがほぼ記憶にない。ただ、ネットで検索すれば様々な意見があったということになるのだろうか。「十五年戦争」(この呼び方自体一般的ではなさそうだが、「昭和の戦争」)について調べているとき、非常に残念だったのが、というか私の視野の狭さからきたことではあるが、清沢冽、山田風太郎といった知識人(もはや死語?)の日記で当時の人びとの考えをしろうとしたこと。今思えば、もっと市井のひとの日記にあたればよかったと思っている。この記憶自体かなり不確かなものだが、小林秀雄は『事変の新しさ』で「黙って事変に処した」というようなことを書いていたように思うが、こういう態度が当時のひとびとの一般的態度なのかなとか想像していたりした。いまだによくわかっていない。

 なにを書き残しておこうというのかというと新聞の社説は2004年当時のことでも後々の日本人が当時をしるにはあまりあてにはならないということ。社説と微妙なズレがるのではないかと。ではネットでの反応はあてになるのかということ。このわたしの備忘録すら、現在の空気を反映しているとは言えないだろう。それでも、何かの間違いでで、この備忘録をのちの人がみることになったら多少は参考にしてもらいとおもうけれど。まあ、政治関連の話題はほぼないに等しいので、その方面ではまったく期待に応えられないように思う。

 ある時代の世論を知る方法のようなものは学問的になにか確立されているのだろうか。

 

 話は変わりますが、わたしは小池百合子さんを応援します。築地移転の顛末や学歴詐称疑惑、その背後にあるのかもしれない外交リスクを勘案したとしても応援します。理由は半分以上は受け売りになりますが、女性だからです。数年間、愛読しているブログの著者が選挙における投票指針をツイッターに挙げていて、政治にあまり関心のない私にも非常にわかりやすかったです。とにかく女性の政治家が増えればいいとおもうのです。

 また、昨日の白熱教室で「優遇的差別」という言葉を初めて知りました。熟慮もなくこの発想に飛びつきました。なるほどと。政治家に適性のある人が性差に関係なくなればいいという意見はありえそうに思えますが、そんなものは男女の比率が拮抗してからでいいのではないでしょうか。現状の日本はあまりにも女性の政治家が少なさそうにおもえます。現職女性議員が少ない睡眠時間で仕事に励んでいるという話を聞くと、その人は男に負けないだけの体力があるとアピールをしているのだといじわるな私は受け取ります。そのようなアピールを必要としないようになるといいのではないでしょうか。そうなればいじわるな私がむくむくと顔をだすこともなくなります。まあ、これはどうでもよいことではあります。

 そして、女性の政治家が増えることは与野党入れ替わりによる政権交代よりも良い変化を社会にもたらしてくれるといいなと考えております。