忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

初歩的なところでつまづいた

 検察庁法改正法案について話題になっていた。この手の問題はやはり得意分野ではない。ということで事実関係の確認をしておこうと思ったら、便利なまとめのようなものがネットにあり、ネットの時代というのはつくづく良いものだなと思った。

 加えて、日本の憲法には「三権分立」という文字がないこと、「元首」の解釈にも幅があることなどいろいろと勉強にはなった。

 で疑問に沸いたことがいくつかある。

 

 「検察ファッショ」と「検察の独立性」。この手の問題でいつも思うのだけれど、どちらの意見も成り立ちうる。結局のところ、実際のケースに応じてということなのだろうか。恣意的な人事というのもなんだか、よくわからない。陰謀論じみた話は苦手だ。でも、たまにどっきとした話もあるわけで。何度も再放送されているので。NHKで2.2.6事件に関する番組を2度ほど見たのだけど、海軍が事件前に実行犯メンバーを特定していたのに泳がせていたという事実。それはなぜか、というところまでは番組では踏み込んでいなかったけれど、気になる。陰謀論というようなものではないか。

 

 「三権分立」は形骸化しているのか。この法案と「三権分立」がそもそも関係ないとしても、多くの人が「三権分立」が成立していることは前提で話しているような印象がある。立法府でつくられている法はだれが書いているのか。このことは大して問題にもならないということか。他国でも同じようなことになっているという話を見かけたが、実際そうなのかは知らない。その点に触れている人はあまりいなかったので、やはり大したことじゃないということか?最高裁判所判事の任命について言及しているは見かけた。

 

 自分中での結論としては法案そのものへの疑問点はなかった。

 

 それよりも、ミュージシャンや俳優に「法案を読んだか」と問うた人がいることは気になった。興味もないくせに批判するなということではないだろう。むしろその逆かもしれない。

 仮にそうであったとしても、その目をつけられてしまった人の人選というはなんなのだろう。微妙な感情になる。

 まあ、そのことはほっとけーきで、なんにせよ自分で考えてみる、自分の言葉で語ってみるというのはいいことのようにおもわれる。それで世相とはずれた意見に至ったとしてもいいではないかと思う。また、なぜ、そうなったのかという原因を探ればいいではないかと。

 というか、そういうことは自分にもあったりするわけだし。韓国との戦後補償についてなんかは、自分はかなり世相とずれてしまっているという認識がある。「狭義の強制性」とか「広義の強制性」というようなことばがでてきたときも、なぜ前者に固執したりするのかが自分にはよくわからなかったし、いまだによくわからない。「狭義の強制性がなかった」ということは事実であったとしても、そんなことを主張して、なにを彼は成そうとしているのか、これが理解できなった。ぼくが馬鹿なだけかもしれないが。

 「手打ち」をしたら、お互いにもうその話は蒸し返さないという部分はそういうものなのかと不満を持ちながらも納得はした。

 

 それと「民主主義」について。これはさっぱり予想がつかないけれど、価値観外交みたいなものはずっと続くのかという疑問。今の中国を「共産主義」と言ってよいのかはわからないが、民主主義とは異なる政治体制を日本人が選択せざるを得ない時がきたりするのだろうか。あるいは、そういう状況に置かれたとき、意外とすんなりとその選択を受け入れたりするのだろうか。