結末からみえてくるもの
『輪るピングドラム』、『ユリ熊嵐』、『さらざんまい』の三つ。それぞれの結末。ハッピーエンドか、そうでないのかはよくわからない。ひとそれぞれの捉え方次第ともいえる。
ただ、私の中ではっきりしていることは社会との関係性の差はあったように思う。冠葉と晶馬が生まれ変わった世界。紅羽と銀子が消えた世界。それに対して3人の少年が残った世界。
どうやって社会と折り合いをつけて生きてゆくのか。作者の意図をくめているのかはわからないが、自分にはそこの違いが目についた。私自身の問題としても気になるという以上のことはないのだけど。
それぞれの作品についても個別に書きたいとおもっていることはあるのだけど。『ユリ熊嵐』の透明な嵐については難しい問題だなと思う。村上春樹の壁と卵の話について書いたとき念頭にあったのは『ユリ熊嵐』だった。二人はあの世界から消えるしかなかったのだろう。ただ、消されたというのが正確で自ら消えたことでないのが大事な点だろうか。
「こういう悲劇は2度と起こしてはならない」という言葉が空虚に響くとき、こうした問題を穿つ確かな視点というものはとれるのだろうか。