危機は去ったようだ
『ブギーポップは笑わない』(アニメ)はなんだかんだ思いながら、最後まで見た。ブギーは危機は去ったと言っていたので安心した。前期の思春期症候群アニメのようなものを想像していただけど、それとも違った雰囲気を感じた。どちらの作品にも「自同律の不快」的キャラとも取れそうなキャラが出ていたが、その原因の見せ方というか、片方は漠然としていた。そこが良かった。どちらとも面白かったが。
それ自体は悪いことではないのに世界の敵になりうるというのはなんだかありそうで、なかなか面白かった。キリストなんか現代に存在していても、辛い目にあったのだろうか。
『やがて君なる』はやはり最近見た中では特別面白かった。こういう感じは『電脳コイル』、『灰羽連盟』以来かもしれない。
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』、『化物語』シリーズのようなハードボイルドな男の子が出てくるものは、そのハードボイルドな部分があるゆえに心から楽しむというようには自分はならないのだ。
元号が変わったので、心に決めたことがある。
①たいして知りもしない昭和について知ったかぶりはしない。
②平成を記憶操作してまで美化しない
③これから来る令和に祝福を!
そうなのだ。最近、はじめて『この素晴らしい世界に祝福を!』(アニメ)というのを見た。くだらなさすぎて面白かった。『うる星やつら』のような病的な気味の悪さはそこまで感じなかったが。
ところで、万葉集というものに風雅というものだけを見てとるというのは自分の趣味ではないなと思った。元号にケチをつけようという気はさらさらおきないが、万葉集がつくられた時代を思えば、そんな呑気な書でもないだろうという思いは捨てがたい。背景にある血塗られた歴史を見ずして、自然を愛おしむ心にだけ着目するのはどうなのだろう。そして、その自然観のようなものだけが日本人の心とか文化とかいわれると閉口する。